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シールドトンネルの見学会

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京王線の調布付近で行われてる連続立体交差事業。

要するにこの区間の交通渋滞緩和の為に電車をを地下に潜らせようと言う計画です。

今回、京王線の国領―調布駅間の貫通を記念して下り線側トンネル内を歩く現場見学会があると言うのをtwitter情報で知ったのが前々日の夜中。

トンネルと言えば「穴」、、ならば行かねばなるまい。

当日の20日、あまり広報はしてないようだけど人がいるのかな?開始時間の10時に現地へ行く。

予想外に結構並んでる。列は道沿いに50メートルくらい。じゃ並ぼうかな、、と思い道路を隔てたの反対のロータリーに目を向けると何故か黒山の人。まさか、、

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と考えるまでもなく「こちらが最後尾です」とアナウンスしてる。仕方なく道を渡り最後尾に並ぶが列は前になかなか進まない。前に進みだしたのは並んで30分以上してからだろうか。

一時間ちょい並んで、やっと入り口のある建物に入る。中にはこれからトンネル内に入ると思われる20人程度のグループがヘルメットを被り、軍手をはめ準備をしている。

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さて、いよいよか。っと僕も期待に旨を膨らませていると、、

「えーーこれからお渡しするのは13時50分の整理券です。」

?何?整理券?二時迄入れないの??てことで仕方なく整理券を受け取り一時現場を撤退。

並ぶこと、約1時間ちょい。やっと整理券か。。甘くみてたな。

ちなみに12時には当日18時頃までの整理券はすべて配布済みになったようで京王側も予想外の人で対応に追われていたようです。

並んだにもかかわらず、見れなかった人の為に急遽来週の日曜日(2月28日)に代替日を設けて整理券を配布したようですね。

読売新聞によると列をつくったのは2600人だったようです。

>>京王線国領〜調布間で現場見学会(読売新聞)

フリー百科事典の落し穴

昔はどこの家にもありましたね。

「百科事典」って、でかくて、重くて、場所取ります。でも、それなりにいい面もあるのですが最近は何でもネットで調べちゃうから百科事典なんかいらないよ、って人も多いのではないでしょうか。

そんな誰もが知ってて使ってるネットのフリー百科事典ウィキペディア(wikipedia)を卒論などは丸写し、、、なんて人も多いのではないでしょうか。

でもウィキペディアに書かれてることは必ずしも事実とは限りませんから注意が必要ですね。それにみんな同じものを見てるのではオリジナルな視点でなかなかものを考えられなくなってしまいます。

ウィキペディアではない、人と違うワンランク上の百科事典をお探しなら、アンサイクロペディア(unsaikuropedia)がお薦めです。これであなたの卒論やプレゼン資料は他の人より注目を浴びるに違いありません。僕は調べものはすべてアンサイクロペディアです。

ちなみに音楽配信は最近はiTunesなんか使ってないです。
今、他人もうらやましがる音楽をダウンロードしたいならやっぱりUnTunesがお薦めです。

第10回全国穴掘り大会

肌寒いですが天気はいいですね。
今日は、前にご紹介した成田のゆめ牧場で行われる第10回全国穴掘り大会当日。
残念ながら今年は参加できませんでしたが次回は是非参加したいですね。
穴が掘りたいと言う方は是非、穴の美学『穴掘り隊』メンバーになりませんか?。
今年いっぱい随時受け付けております。穴掘り強化合宿を行い日本の頂点に立ちましょう。
日本の次は世界を目指しましょう。世界穴掘り大会ってあるのかな。

あと一分
残り1分(写真/ゆめ牧場)


BUBKA_hensyubu on Twitpic
穴掘り終了(写真/BUBKA)

BUBUKA on Twitpic
本職の職人さんにより30分で掘られた穴。大人が肩車しても頭も出ない深さらしい。神秘的ですばらしい。(写真/BUBKA)

ちなみに今年はチーム戦は1位記録349cm、個人戦1は位216cmで埼玉県の久喜市のガスの配管工事会社「暁工業」が4連破を成し遂げたそうです。
日頃から穴を掘るのが専門なので最初は社員もなんで休日迄穴を掘らないといけないのかみたいな空気が最初はあったみたいですが、さすがにプロですね。
緊急を要することもあるガス配管ですから、頼もしいですよね。おめでとうございました。

団体戦の結果の一覧を見ると、個人的には「ここ掘れワンワン」の1cmが気になります。レディとなってますが、、まさか犬?

>>結果一覧(ゆめ牧場)

ポケットの穴

ポケットに穴が空いたことはありますか?
冬に羽織るジャッケットやコートなんて一着持っていれば本当は十分かもしれませんが、
なんだかんだの理由で私は5着ぐらい所持しています。
そして、そのうちの3着がポケットに穴があいていました。
もう、空いてから数年…
というのも、あいてからずっーと見て見ぬふりをし続けていたのでした。
幸い(?)冬のコートなどには裏地があって、
ポケットに穴が空いても裏地がストッパーになり、たいてい物が落ちません。
しかし、小銭など入れた場合は背中あたりまで、移動してしまうことがありました。

そんなこんなで、不便ともいえるけど、穴が空いても使用できるので、
見て見ぬふりをしていたのですが、誰に言われたからでもなく、
思い立ったが吉日、ちくちくと縫って直したのでした。

数年放置し続けたものをやっと今日。
直してみると、本当に今までなんですぐ直さなかったのだろうという不思議感と
新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝ようなすがすがしさ!
そして、ポケットに物を入れた時のNOストレス。

いやなことがあったとき、落ち込んだ時には
身の回りにある穴空き衣類などを直してみると
心が安らいでいいかもしれません。
でもそもそも、穴なんてあいてないでしょうか…。

パイプの穴

パイプの穴は何故空いているのか?

これは用途にもよりますが、例えば建築現場などに使われる足場などのパイプの場合は中がつまった金属より軽いと言う理由があります。

さらに言えば空洞な分、金属コストも安くあがります。

ただ最も大きな理由は、実は中がつまっている金属より穴があいたパイプ状の金属のほうが強度的に強いからなんですね。

単体としての強さだけではなく、足場を積み上げた時の軽量化にもつながりますから下部の足場への負担も減り、さらに強度が高まります。

これは人間の骨にも言えることで、同じように内部は空洞になっています。ただし骨の場合はこの空洞部分にスポンジ状の血液を作り出す組織が入っています。

人間の骨は中が空洞になって強度を高めてるだけでなく、そのスペースも有効利用してる訳なんですね。

ちなみにもしも骨の中が空洞でなかったら体を動かす為に今よりも多くの筋肉を必要とするのではないでしょうか。

よく言われることですが、自然界はまさしく機能的にも美学的にもすぐれたデザインの宝庫と言えますね。

かまくら

今日は一面雪景色になりました。

雪と言えば「雪だるま」「かまくら」などが思い浮かびます。

「かまくら」はミニかまくらしか作ったことはありませんが

まず雪の大きな塊をつくってから穴を掘っていきます。

考えてみると、初めから穴を残しながらつくるものと後から穴をあけるものでは結果的に同じように見えても、大きな違いがあるんですね。

これは構造的にも視覚的にも、いろんな面で言えるのではないでしょうか。

伊坂幸太郎

今を時めく小説家の伊坂幸太郎さんですが、

彼の小説に初めて出会ったのは今から10年程前に読んだ

「オーデュボンの祈り」

と言う小説でした。

当時読んだいろんな小説の中でも伊坂さんのこの小説はとても新鮮でした。

たまたま書店で手に取った小説でしたが、意せず大穴馬券をあてたようなそんな感動がありました。(無理矢理、穴に関係させようとしてる所が苦しいf^_^;)。

今はいろいろ映画化もされ、誰でも知ってる作家になり最近では「ゴールデンスランバー」が映画化されて話題になっているようですね。

当時、この若さでこの内容はすごいと感心し、当時彼の作品にはまっていた僕もあまのじゃくなとこがあって知名度が上がってからは彼の作品は読んでいません。

久々に伊坂幸太郎さんの作品を読んでみようかとも思いますが、昔と違う新たな感動を与えてくれるのを期待しています。

ちなみに他に好きな作家は安部公房です。

「砂の女」は何度も時間が経ってからも読みなおしました。

伊坂幸太郎の「オーデュボンの祈り」と

安部公房の「砂の女」

どちらにも共通することと言えば

「怪しい世界」てことです。f^_^;

それからもう一つ、どちらもその作家の初めて読んだ小説だったと言うことです。

やはり何事も初めて出会ったものは思い入れが強くなりますね。

まだ読んだことのない方、怪しい世界が嫌いではない方にはオススメの2冊です。

ちなみに「砂の女」は穴が関係する内容です。

屏風画の間

僕の好きな作家に俵屋宗達がいます。

宗達と言えは誰もが知ってるのが2曲1双の全面に金箔が施された屏風画「風神雷神図」ですが

あの中央に大きく取られた大きな空間はまさしくドーナッツの穴なんですね。

風神、雷神はこの穴をつくるためにいるようなもので穴との関係が絶妙なバランスをつくり出しています。

宗達といえば光悦の書とのコラボレーションでも素晴らしい作品が沢山ありますが宗達が作りあけたドーナッツに光悦のこれまた絶妙なトッピングで花を添えています。

宗達は近代まではそれほど評価が高い絵師ではなかったのですが、その大胆な表現はとても現代的ですね。

当時を考えると、かなり異質な表現だったようで、宗達は日本人ではないのではないかなどなど様々な憶測もあり、謎に満ちた絵師のようです。

「風神雷神図」は琳派の絵師の模写もいくつかありますが、やはり本物とは雲泥の差があります。

その違いはこの作品を近くで見た時の単純な輪郭線の勢いに如実に表れています。

久しぶりに博物館で「風神雷神図」を見て、なんじゃこれ?宗達ってこんなんだったっけ?とガッカリしながらあらためてキャプションを見直したら、小さく模写と書かれていて安心したこともありました。取り分け宗達の絵はオリジナルの良さが際立ちます。

古い屏風画や巻絵にもよく見られるどちらが地か図かわからない程に画面に穴が空いたような雲の様式的な表現も言いかえれば同じくドーナッツの穴なのですね。

絵にあいた穴

先日、メトロポリタン美術館のピカソの作品(評価額90億円以上)に過って転倒した女性が穴をあけてしまったと言うことです。

きっと目撃した人達にとってはどんな前衛作品を見るよりも刺激的な光景であったでしょうし、「ああ、ピカソの絵も破れるんだな」と、あらためて絵画を物質的に感じられた貴重な体験にもなったと思います。

などと言う冗談はさておき、心配なのはいくら保険に入っていて過失だとしても破った本人にも賠償責任があるのかと言うことです。

数年前にはラスベガスの富豪があやまって自分の所有するピカソの作品(評価額165億円)を肘鉄で破ってしまうと言う出来事がありましたが、こちらは自分の所有物だったと言う点が今回の出来事とは異なります。

今回、穴があいてしまった作品は急いで修復されて4月から開催される「ピカソ回顧展」に間に合わせると言うことですが、ひねくれた見方をするとこの出来事で「ピカソ回顧展」の目玉がまた一つできたとも言えます。

ピカソ展を見に行った人はこの絵を見て

「ほほー、これがあの破られた絵かあ」

「ほー、どこに穴があいたのかわからんな。上手く直すもんだ。」

と絵の内容と関係なく、邪念に人だかりを作ってしまうのでしょうか。日本だったら間違いなく、この絵だけを見たくて行く人がいるのではないでしょうか。

ラスベガスの富豪が破ったビカソの絵の出来事はは日本題で「夢」と言われる作品だったので「夢破れる」と言うユニークなタイトルで報道されました。

ちなみに今回は「役者」と言う題名の作品だったのですが、まさか「集客に一役かった役者」などと言うタイトルで報道されたりはしないでしょうけども破ってしまった方は本当にお気の毒です。

ピカソの「役者」破れる、女性転倒で メトロポリタン美術館

興奮してピカソに穴を開けてしまったラスベガスのホテル王 - 米国

美術館の穴場

美術館に穴場はないです。

と言ってしまえば身も蓋も無いのですが人それぞれ感じるもの、興味があるものは違うのでここが穴場ですとは言えなかったりします。

でも、新しいものや演出が盛り沢山でなくても構わなければ企画展ではなく、常設展をオススメします。

だって、、安いじゃん。

人も少ないし、、。

企画展が1000円以上するのに対して常設は100円とか200円だったりしますしね。

同じ美術、博物館で企画展が一時間待ちの長蛇の列でも常設展は大抵ガラガラです。上手くするとゆっくり貸し切り状態で楽しめます。

個人的には美術は作品以上に接する空間がかなり大切だと思ってます。

どうしても見たいものがあれば、めちゃ混みの展覧会に行くのも仕方ないですが、あなたは一体何が見たくて何をしたくて美術館に行くのでしょうか?

生キムタクを見に行きたい!運良くば握手したい!そんな気持ちでしょうか。それとも自分が好きな人を、気持ちが通じる人をこの広い世界から見つけ出したい、、そんな気持ちからでしょうか。

もし、混んでいる展覧会にどうしても行きたいなら、ゆっくりは見れませんが終了間際が比較的空いています。もしくは見たい作品があるなら美術館に朝一番に行き、開館したら一目散に下調べをしておいたお目当ての作品のある所まで向かうことです。ただ最近は美術館側も心得ていて逆行することさえ難しくしている所もあるようなので、なかなかこの方法も使えなくなりつつあります。とにかくもし興味がありそうな展覧会を見つけたら、テレビで紹介される前に行くことでしょう。

それにしても最近の企画展は援助金を受けるために企画意図を前面に強く出さないと駄目なのか、もしくは学芸員の自己主張なのかは分かりませんが、かなり無理があるこじつけ企画もあったりします。

見る人はそのテーマに沿って見せられてしまい、知らず知らずのうちに上手い広告文句と解説に乗せられてしまったりしてしまいがちです。

作品から企画コンセプトが必然性がなく浮いてしまってるものは明かに失敗です。中身は変わらないのに目先だけを変えたような朝三暮四の展覧会を僕は「こじつけ展」「詐欺展」と呼んでいます。

「時代の先端ではなく、見方によると埋もれかけた過去のものがほとんどですが、そうした押し付けがましい企画が常設には感じられない分、かえって冷静に自分の目と素直な価値観で美術を楽しめます。

言い変えればビデオレンタル屋さんの新作の棚に並ぶ流行のビデオではないけれど、埋もれてしまった数多くのビデオの中から良いものを見つけるような、、そんな楽しみが常設展にはあります。

時間が経っても良いものは良いですし、逆に時間に埋もれてゆくもの、もしくは時間によってかえって突出してくるものなど様々です。

でも人の後頭部を見るのや人ごみが好きな人には常設展より、企画展の方をオススメします。

ちなみに展覧会によく行ってる人なら感じることですが、企画展のメインの作品以外のほとんどがその美術館の常設で普段も見れたりするようなのもあったりします。

バブルな時代と違い予算削減、援助打ち切りの影響もあってか、なんとなく最近の展覧会は少ない予算の中で良い展覧会をしようとしてるのにもかかわらず、そのやり繰りに必死な学芸員方の姿が見え隠れしてしまって大変だなあ、、と感じてしまったりもします。

ちなみに企画展は駄目と言ってる訳ではありません。やはり良い企画展は新鮮でドキドキ、そして時には感動させてくれます。勿論お金がかかってなくても、良い展覧会も数多くあります。

話がそれてしまいましたが、美術館や博物館の常設展、、いつでも見れると思わず、気持ちに余裕があれば宝捜しのように結構充実した時間が持てます。

美術鑑賞の本当の醍醐味は、人が誰でも知ってる作品を見に行くことではなく、他の人が知らないまたは知られてなくても自分には大切に思える、そんな作品に出会える穴場を見つけることだったりするのではないでしょうか。

と言うことで美術館の穴場とは常設展でした。