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お弁当

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僕は表現方法を良く料理に例える。

素材選び、調理、味付け、盛り合わせ等、料理をするようになってますます様々な造形と共通することばかりだと実感する。

その中でも制約のある料理にはかなりのテクニックや発想力が要求される。

ただ好きな材料を使い何も制約がない中で作ることより、制約のある中で作る料理はとても大変だ。

例えば弁当。

限られた空間の弁当箱に納得のゆく料理を完成させるのは難しい。

時間的な制約もある。

使える素材や、調理方法にも制約がある。

さらに冷めても美味しく頂けるものでなくてはならない。

最近、僕にとって目から鱗状態のお弁当写真をいつも懇意にして頂いてる料理の達人から送って頂いた。

僕が作る弁当なんか竹輪はスボラな輪切り。

しかし料理の達人は全然違う。斜め、それも程よい大きさ。

ちょっとしたことだが、こんな風に切り方だけで料理は大きな差がでる。

造形全般に言えることだが、このちょっとしたことが達人との差になるのだ。

お話を聞くと、フライパンも一つで済むように調理する順番を考えると言う。確かに朝の忙しい時間にいかに手際良く調理を済ませるかも大きなポイントだ。

本当に料理は奥深い。

弁当は本当に難しい。

ハッチング

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デッサン等でよく使われる言葉で「ハッチング」と言うものがある。
多くは、比較的方向性が揃った線を重ねる描画方法を指すが、表現方法により多様なバリエーションがある。
特に線材的な性質の強い鉛筆やペン等で描写する時は効果的なことが多い。

油絵やテンペラ画等にも多く見受けられ、銅版画にも多く用いられてきた。これはニードルなどで金属等に傷をつけて作る為に色面や陰影の濃淡を作ろうとするとインクを溝の中に浸透させなければならない関係から、どうしても線を重ねることになってしまうこととも関係しているのだろう。

銅版画には色面や陰影を作るのにはアクアチント等の方法もあるが、表現内容としては方向性が大きく異なる。

また立体的な形状を強く意識する彫刻家等のデッサンにはこのハッチングが多く見受けられ、線の方向性も単なる色の階調を作り出すパターンとしてではなく、形に沿った線の方向性を持っていることが多い。

紙幣に見られる肖像画の図案も版画技術関係しているのは明白だが、現在の紙幣はデジタル技術が使用されている為、紙幣の中のハッチングは技術的な制約ではなく、偽造防止の為に利用されていると考えられる。

デッサンのテクニック

要はいかに本当らしく嘘がつけるかである。

もともと平面の紙切れに三次元の空間を感じさせようなんてこと自体が嘘つきの始まり。

つまり「嘘つきレベル」が上がるればそれだけデッサンも上達する訳である。

しかし、嘘をつくのはなかなか難しい。

適当に嘘をついたのでは、すぐにばれてしまうので、あらかじめいろんな下調べや自然体で嘘をつく練習を普段からしておく必要がある。

特に見える部分ではなく、見えない部分への配慮が大切だ。

すると見えないものまで簡単に描けるようになったりもする。

だいたい、ほとんど透明で見えないサランラップなど、ただ眺めていても描けるようにならない。

どんな特徴があって、どんな構造をしてるのか。どんな風にごまかしたら本当にあるように見えるのか。

そんなことを理解した上で嘘をつくと

あれ、不思議、、人の目は簡単にごまかせる。

真実以上に本当ぽい嘘がつけるようになったら、あなたはデッサン上級者。

ただ嘘つきのテクニックは向上しすぎると、逆に「嘘っぽく」なるので注意が必要。

ちなみに僕は今だに二次元デッサン。

嘘をつくのが苦手です。

構図

よく絵画や写真等で使われる「構図」とは

つまり料理における「盛り合わせ方」みたいなものである。

美味しい料理であっても、盛り付け次第では食べたくないものになる。

逆に、まずい料理でも盛り付け次第で美味しそうに見せることは可能だ。

ただし後者の場合は食べてがっかりしてしまうのに対して、前者は、「意外にいける」と言う評価が得られたりする。

見せかけと内容はやはりバランスが取れているのが一番だが

まずい料理をわざわざまずそうに盛り付けるメリットは少ないかも知れない。

似たようなことは普段の社会生活の中でもある。

一見、悪そうな人が良いことをすると、実際より高く評価されるのに対し、逆に見える人が良いことをしても前者程評価されることは少ない。

「意外といい人」と

「意外と美味しい」は

似ている。

話しが横道にそれてしまった。

神の手

一部の宗教で言うような胡散臭い偶像ではない。

または「死」を恐れる人間がつくりあげた夢想でもない。

他の言葉で置き換えるなら「自然の力」もしくは意図された「偶然」とでも表現すべきか。

創造は時に想像を超えた結果になる。

それが「神の手」だ。しかし他力本願や偶然の結果ではなく、つくり手の能力と明確な意識があってこそ呼び寄せることができるのである。

逆に「神の手」を完全に拒否した創造もある。

失敗と成功

失敗は何事にもつきものである。

僕なんて毎日が失敗の連続のようなものだ。

しかし、それをただの失敗で終わらせるかどうかで大きな差が出てくる。

本来の目的からすると「失敗」であっても、そこから新しいことが見つかることもあるのだ。

現在「附箋」等に使われてるのりも接着力が弱すぎて何に使えばいいか分からない失敗の産物だったようだ。

それを附箋に使うと言うアイデアが「失敗」を新たな「成功」へと導いた。

天才とは凡人が見逃しがちな「失敗」から「成功」の道筋を見つけられるような人を言うのではないだろうか。

調理

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同じレシピで作ったものでも、作る人により全く違った料理になる。

素材が違えば尚更、差が出てくる。

調理とはそんなものだ。

環境や使う道具等によっても違いは出てくる。

技法とはそんなものだ。

やたら凝った技法を使えば良いものができると言うものでもない

意外とシンプルな技法の方が良かったりもするが、反面シンプルなものは表現が難しかったりもするものだ。

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